先日、1歳の時から毎年撮らせていただいてる、
「かい君」が高校を卒業した記念に
撮影に来てくれました。
1歳から18歳まで18年間、
毎年撮らせていただいているので
そりゃもう夫婦共々、
我が子のように可愛がっています。
【僕が家族写真を撮り続ける理由】
それは、かい君ファミリーに出会った事が
大きな理由の一つです。
この出会いについては、
僕自身もたくさんの想いがあり
今まで文章にすることは
なかなか難しかったのですが、
今回、かい君が高校を卒業した節目に、
出会いのストーリーと
家族写真を撮り続ける理由について、
あたらめて言葉にしてみようと思いました。
今回この僕の想いを書きたいと、
かい君ファミリーに相談したところ、
とてもプライベートなお話ですが、
お名前と文章を公開することに
快く応じていただきました。
長くなるので、前編・後編に分けて、
掲載したいと思います。
お時間のある時にお読みいただけたら嬉しいです。
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それは今から遡ること17年前の2008年6月、
僕は茜ちゃんと守くんご家族に出会いました。
茜ちゃんは、
とある講演会でゲストスピーカーとして
壇上でお話していました。
僕はその講演会にカメラマンとして
参加していて、偶然出会うことができました。
その隣には、まだ1歳半の可愛い息子のかい君と、
穏やかな表情で見守る守くんの姿がありました。
茜ちゃんの明るい笑顔の裏には、
想像しなかった現実がありました。
茜ちゃんは悪性のがんと闘っていたのです。
かい君がおなかにいた時、茜ちゃんの病状が悪化。
今回は赤ちゃんは諦めて、
すぐに病気の手術をすることを
病院の先生から勧められましたが、
茜ちゃんは自分の命より、おなかに宿ってくれた
新しい命 -かい君- を産む決断をします。
僕が初めて茜ちゃんと出会ったその講演会で、
茜ちゃんは余命宣告を受けながらも、
「病気になったことは
不運だけど、不幸ではない。」
「病気になったことでたくさんの大切なことに
気づくことができた。」
と、まっすぐな目で話していました。
僕たち夫婦とほぼ同い年の二人が、
小さなかい君を抱え、それでも病気と闘いながら
前向きに生きる姿に僕は胸を打たれました。
どうしてもこの家族の大切な瞬間を写真に残したい。
そう思った僕は、茜ちゃんと守くんに
「家族写真を撮らせてください」
とお願いしました。
2008年7月
初夏の心地よい日差しを浴びながら、
茜ちゃん・守くん・かい君、笑顔溢れる家族3人を
カメラに収めました。
そこに写っている姿は、
茜ちゃんが病気であることを知らなければ、
公園で遊んでいる他のご家族と何一つ変わらない
幸せに満ちていました。
↓その時の写真がこちらです。

2008年11月
かい君は2歳のお誕生日を迎えました。
茜ちゃんは、体調が優れない中でも、
かい君の成長を心から喜び、
いつもの優しい笑顔を見せてくれました。
そんな変わらない
茜ちゃんの笑顔を見ていると、
こんな可愛い子を残して
ママがいなくなってしまうなんて、
あまりにも辛すぎて考えたくはありませんでした。

しかしながら、
運命というものは時に非情なもので
2009年2月・・・
茜ちゃんは静かに旅立っていきました。
茜ちゃんとお別れする時、
「これからのかい君の成長を、
毎年写真に撮らせてね。
それをお空から見守っていてね。」
と手紙に書いて棺に入れました。
そして、そのことを守くんにも伝えました。
【後編につづく】